2010/05/19

故郷の友よ

ある一定の距離を保ちながら
きっと同じように歩いていたはずなのに
今は・・・別々の道を行くようになった
それが寂しいだなんて思っていなかったけど
たまに見るその疲れた表情に
心の底で 少し寂しくなるんだ

お互い素直じゃないから
結局 答えのでない話をしながら
後で残るのは
むなしい 香りなんだ

わかってもらいたくて話した事も
からまわり
風船が遠くどこまでも飛んでいくのを
ただ窓辺で見ているしかなかった

今は
土の上から出る芽を必ず生えてくると信じて
遠くで祈るばかり

四葉のクローバーは一生かかってもみつからないかもしれない
それでも
人は 希望と夢を忘れたら死んでしまう生き物
だからあてのない旅に出ると決めたら
心から私は 応援するよ
それがあなたの決めた事ならば

故郷の友よ
どうか
土から這い上がることもせず
あきらめないでおくれ

故郷の友よ
どうか
希望を忘れないでおくれ

もし
あきらめそうになったら
蜘蛛の糸のように切れてしまいそうな
あなたの心を
必ずつかんでみせるから

2010/05/06

京都写真館 in マニアックな日々


土佐の藩士らが通ったとされる土佐稲荷神社。数多くの藩士がこの神社にお参りしたらしい・・・中に入ると龍馬像が建立されており記念にパシャっと撮りたくなる感じかなぁ~


京都の伏見に十石舟と呼ばれる、舟で観覧できる場所がある。昔は荷物を運んだりと多くの商売で栄えていた。今では、寺田屋の観光がてらに寄る人が多い。


京都国際ホテル目の前に福井藩邸の石碑が建てられている。土佐の藩士との交流も深く、福井藩で有名な人物が松平春嶽(まつだいらしゅんがく)その後、(五箇条のご誓文)の原案を作成した人物でもある。

江戸にて私塾(象山書院)を開き、多くの有名な幕末の志士達を輩出した。この塾に坂本龍馬も入塾している。儒学などを学び、最後は京都河原町三条にて尊王攘夷派の過激な志士に暗殺される。

龍馬の妻、お龍が入ったお風呂!こんなものまだあったの?と言った感じでびっくりでしたが・・お龍は大変気が利く人物で、龍馬の身を案じて、度々、裸のままで龍馬に忍び寄る暗殺の難を逃れたのも、お龍の力がおおきい。

京都 in 写真館2


世界遺産・二条城のお堀。てくてく歩けども歩けども非常に長い道のり。当時の人たちは相当、殿様にお金をかけて作らせただけあり、どこもかしこも、そんな簡単に泥棒??なんて入れないね(笑)

二条城の二の丸御殿。この場所で時の徳川最後の15代将軍徳川慶喜が大成奉還をした場所。世界遺産だけに、中の様子は写真撮影禁止!!中の様子が本当にすごかった!建築のありかたや、いかに徳
川将軍の権力のすごさを見せ付けているかがわかる。

門構えも、立派!!


入り口の門は、本当にでかい!! しかしこの日は本当に暑くて死にそうだった(::)

5/4の夕食はビストロスポンタネというフレンチのお店を予約した。今まで食べた中で一番の美味しさだった。たまらん(^^)写真撮影がここも禁止だった。京野菜をふんだんに使ったメニューで本当に美味しかった。特にたけのこはやばい!という言葉が出るくらいうまいの一言でした。
最後にお店の店員さんが、「おおきに~またおこしやす」と笑顔で接客していただき、気持ちよく1日が終わった。 
京都は本当に素晴らしかった。なんと言っても、興味深い街。歴史の深い街はやっぱり何においても一流ですな(^^)醍醐寺から龍馬と二条城で終わったこの旅。また是非、企画して今度は何処へ行こうかなぁ~・・・



5/4 in 京都写真館1


路地裏を歩いていたら、舞妓さん発見!!思わずパシャ!!


坂本龍馬と中岡慎太郎の墓前の前で手を合わせ・・・感謝と敬意を持ち合掌。


豊臣秀吉の妻のねねの道とされる坂。


京都の円山公園内にある、龍馬と中岡慎太郎像。


京都八坂神社。
非常に暑くてこの日は、本当に熱中症になった。ふぅ~一休み(@@)

5/4 in 龍馬の足跡と幕末の志士達2


天気も良く・・・快晴(^^)鴨川を歩きながら、竜馬の足跡を辿ってみた。

ここは、龍馬と同じ土佐藩出身の中岡慎太郎の二人が最後に攘夷派の志士に襲われ、命を落とした場所。行ってみて、びっくりしたのだが・・・跡形もないくらいこの場所は繁華街になっており、今ではその風景や面影は見る事はできないが、商店街のコンビ二の前にひっそりと石碑がたっているのみだった。


ここは京都の高瀬川付近にある、土佐藩の藩邸跡地。河原町の繁華街に近く、非常ににぎやかな街。土佐の志士達がなぜ、ここまで志高くもつことができたのか?きっとその背景には、身分の差別にあったに違いない。土佐の身分は上司(じょうし)と下士(かし)にはっきりと分かれており、身分の違いによって相当な仕打ちをうけていた。もちろん下士として産まれた人間は雑草や虫けら同然に扱われ、だからこそ、ハングリー精神旺盛な気質や、いつかこの制度を変えて、よりよい暮らしをしたいと思う青年がとても多かったのだと思う。


池田屋事件は、幕末の時代に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋で、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派を襲撃した場所の跡地。のちに池田屋騒動などと呼ばれ、幕末の動乱の中、生き抜いた志士達の熱い想いが伝わってくるようである。


武市半平太が京都にいる際に寝泊りしていた場所。龍馬の足跡を辿るツアーの中でも忘れてはいけない存在が、この武市半平太だ!! 龍馬と同じ土佐藩の出身で幼なじみ。しかし、土佐勤皇党を作り、その党首を務めるが、土佐藩主、山内容堂から勤皇党の弾圧をうけ、吉田東洋暗殺の首謀者ではないか?と問われ、土佐にて牢獄に入れられ捕らえられていた。同じ土佐勤皇党だった岡田以蔵に自白させられ、切腹を命じられ37歳というその若さで世を後にした。悲しい結末だった。

龍馬と半平太は、親友でもあった。けれど、目指す方向が違う・・・別々の道を歩む事になるが、生真面目な性格が非常にむなしい結末にもさせた。半平太の一貫としてゆるぎないその目指すものが、散ってしまったが、彼の統率力はまとこに優れたものだったに違いない。

5/4 in 龍馬の足跡と幕末の志士達1


「寺田屋の内部・・・龍馬の絵が飾られている」
今年の大河ドラマにどっぷりはまり、旦那と毎週かかさずビデオに撮り見るやいなや、幕末の志士達の志など、本までも買いあさり、昔から歴史は大好きだったがここまではまるものも中々最近ないだけに久々に、熱くなっている自分がいる。念願の龍馬の足跡ツアーと言っても自分でプランをたて予定通り遂行!! 寺田屋到着!! ここは、龍馬が京都にいる間、寝泊りしていた場所。そして、攘夷派の京都見回り組などの志士達に狙われ切られたが、妻のお龍がその動きにきずき一緒に逃げた場所でもある。

「寺田屋・外観」
この寺田屋は今も、宿泊できるらしいが・・・私は気がすすまない(@@)外観は昔を思わせるような作りで、この場所で江戸という時代が終わりを告げようとしていた時期に龍馬はどうにか、こうにか日本を守れないだろうか?と悩んだに違いない。喧嘩や武力ではなく、頭を使い、何事にも平等で、人と人を繋げた役を担い、人目おかれていた存在だっただけに、最後に切られてしまうというなんともむなしい人生の終わり方が悔しい。

「ピストルの痕」
龍馬は、昔にしては大変めずらしく西洋の文化にかなり触れており、拳銃も所持していた。その際、護衛の為に撃たれた痕が今も残っている。

「寺田屋内部からの様子」
寺田屋から見た外の景色。床はきしきしと音をたて、すこし動けば壊れてしまいそうな感じ。この風景を見ながら変ってしまった日本を、どのように思われているだろうか・・・

ここで龍馬は、妻になるお龍さんと愛を育んだとされている。また大変、筆まめで沢山の手紙を姉の乙女さんや友人に送っている。寺田屋にて書いた姉の乙女さんに宛てた手紙もこの館内に残っていた。
この場所で思う事は・・・日本を守りたいと思う純粋なその気持ちを持った青年が、自分の命をかえりみず貫いた人生が・・・まっことおもしろき人よ!! と土佐弁で言ってみながら・・・寺田屋を後にした。

5/3 in 醍醐寺


人生初の京都!!! いやぁ~普通、修学旅行とかで行くでしょ!それが私にはご縁がなかったのであります(::)GW1日目に着いて早々、醍醐寺へと向かった。ここは、空海(弘法大師)の師弟にあたる聖宝理源大師さまが開いた、真言宗総本山の醍醐寺だ。縁あって、このお寺を知るきっかけになり一度でいいから是非行きたい場所だった。今年は、このお寺を開山してから、1100年という年月が経ち・・・去年その大きな法要が行われたのだ。昔は山に神が住んでいるなんて信じていたくらいだから、やっぱり山や自然はとても尊いものだと感じる。神聖な場所で、手を合わせ祈る時、1100年昔の人々と変らず、やっぱり今も昔も祈る事は一緒な気がする。

五重の塔・・・この建築の細部を見ると驚かされる!!!
圧巻!!!  釘をひとつも使わずに、組み込まれた建築のありかたは本当に驚く(@@)いかに人々が寺院や神を祭る建物に真摯にそして真剣に打ち込んでいたかがよくわかる。今はこうして、観光で拝見する形になっているが、きっと昔はそんな社会情勢ではなかったのでは?とも思ってしまう。

醍醐寺を散歩していたら、茶屋があった。その部屋の中からの風景。静かで、そして太陽が葉の隙間からこぼれおちて、光がゆらゆら揺れて、穏やかな時間が流れる。冷たいアイスティーを飲んで、癒された時間。

醍醐寺の境内の中にある、不動明王の護摩壇。 ここで火の行が行われる。不動明王の睨んだ目の奥にある魂が今にも、私に何か訴えかけてきているような気がする。

醍醐寺は春の桜の時期と、秋の紅葉がそれはそれは、素晴らしいという。醍醐味という言葉の由来もここでうまれている。厳しい修行をされた場所とはとても思えない程、春の暖かい季節の中で、昔の人の心に想いをはせて、醍醐寺を後にした。

5/2


世間でいうGW・・・この日は明日の京都に備え、あまり遠出はせずに、日高にある顔振峠の山のふもとにある、忘路庵という素敵なカフェにお邪魔しました。実はここ→写真撮影が禁止だったのですが・・・(;;)知らずに撮影してしまい、お店のオーナーさんに許可を得て2、3枚のみ撮影。オーナーさんの女性がとても個性的で、すんごい身長高いんです!!本当にでかい!! 

ベランダからの風景は、本当に素敵で、心と体のバランスがほどよくとれる空間。ピアノの曲が部屋の中から聞こえてくるのですが・・・これまた、すごいことに、このカフェのスピーカーは特注みたいで、どこから聴こえてくるのか本当にわからないくらい、不思議な音量と音色なんです。上の写真に長い丸太のような木の中にスピーカーを埋め込み作ったらしく・・・凄かった!!

ここからの山の景色は本当に素晴らしい(^^)自然が作りだす、感動はなにものにもかえがたい。

ここの珈琲とクレームブリュレをいただき・・・明日の京都に備え、癒されたカフェ日和な1日でした。