2010/05/06

5/4 in 龍馬の足跡と幕末の志士達2


天気も良く・・・快晴(^^)鴨川を歩きながら、竜馬の足跡を辿ってみた。

ここは、龍馬と同じ土佐藩出身の中岡慎太郎の二人が最後に攘夷派の志士に襲われ、命を落とした場所。行ってみて、びっくりしたのだが・・・跡形もないくらいこの場所は繁華街になっており、今ではその風景や面影は見る事はできないが、商店街のコンビ二の前にひっそりと石碑がたっているのみだった。


ここは京都の高瀬川付近にある、土佐藩の藩邸跡地。河原町の繁華街に近く、非常ににぎやかな街。土佐の志士達がなぜ、ここまで志高くもつことができたのか?きっとその背景には、身分の差別にあったに違いない。土佐の身分は上司(じょうし)と下士(かし)にはっきりと分かれており、身分の違いによって相当な仕打ちをうけていた。もちろん下士として産まれた人間は雑草や虫けら同然に扱われ、だからこそ、ハングリー精神旺盛な気質や、いつかこの制度を変えて、よりよい暮らしをしたいと思う青年がとても多かったのだと思う。


池田屋事件は、幕末の時代に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋で、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派を襲撃した場所の跡地。のちに池田屋騒動などと呼ばれ、幕末の動乱の中、生き抜いた志士達の熱い想いが伝わってくるようである。


武市半平太が京都にいる際に寝泊りしていた場所。龍馬の足跡を辿るツアーの中でも忘れてはいけない存在が、この武市半平太だ!! 龍馬と同じ土佐藩の出身で幼なじみ。しかし、土佐勤皇党を作り、その党首を務めるが、土佐藩主、山内容堂から勤皇党の弾圧をうけ、吉田東洋暗殺の首謀者ではないか?と問われ、土佐にて牢獄に入れられ捕らえられていた。同じ土佐勤皇党だった岡田以蔵に自白させられ、切腹を命じられ37歳というその若さで世を後にした。悲しい結末だった。

龍馬と半平太は、親友でもあった。けれど、目指す方向が違う・・・別々の道を歩む事になるが、生真面目な性格が非常にむなしい結末にもさせた。半平太の一貫としてゆるぎないその目指すものが、散ってしまったが、彼の統率力はまとこに優れたものだったに違いない。

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